<はじめに>

   このブログでは、科学的な考え方、科学的な物事の見方についてお話をしていきたいと思います。と申しますのは、周りを見ますと世間のごく一部の日本人を除いて、その様な物事の見方のできる人が年々少なくなっているように感じられるからです。逆に、米国をはじめとする欧米ではその様な見方をできる人が増えてきていると思います。現実に、欧米では統計を駆使して仮説や検証を自在に使い分けたり、ひいてはビッグデータやリアルワールドデータを現実に役立つように有効に活用したり、弱いAIと強いAIの違いとか、知識と知性について論じたり、そういった事が盛んになってきたのはこの見方ができている証拠ですし、逆に日本国内では一部でそういった動きについて行っている人も居るものの、テレビのコメンテーター、映画や小説、国会の答弁、そして会社に入ってくる新入社員を見ると、大勢としては全く逆の方向に進んで行ってしまっているように感じられます。

 

   当然世の中には、その様な見方ができなくたって生きていける、自分の人生には関係無いという人もいると思います。それは事実だし、実はそういう見方をしない方が楽で楽しくやっていけると考える人もいると思いますし、ある意味事実だと思います。一方で、科学的な物事の見方を知りたい人、科学の力の源、あるいは科学の限界が何処から来るのかを知りたい人、または世の中の出来事を違う視点で見てみたい人も少なからずいると思います。このブログでは主に後者の人達に向けて、科学的な考え方とは何か?科学的な物事の見方とはどういうものか?について書いていきたいと思います。

 

   皆さんは、科学者とか、科学に携わっていると聞くとどんなことを想像されるでしょうか?漠然と、頭が良いとか、色んな事を知っているとか、頭の痛くなりそうな数式を沢山知っているとか、話が論理的とか、そんなイメージでしょうか?それらのイメージは一面正しいですが、それらは科学をする上で役に立ったり、科学に携わった結果であって、科学者になった原因ではないと考えます。むしろ科学の本質は心の中にあり、今挙げたイメージの真逆にあると思います。その心の在り方は、世の中や物事、現象に対するモノの見方に関係してきます。プラトンの著作やアリストテレスは論理と心の部分を分けて論じており、論理よりも上位に心の在り方とかそういった形而上的なものを置いています。その様な事柄も踏まえてこのブログを読んでくださると、このブログで言う『科学者は物事をどういう風に眺めているのか』についての理解も速まるかもしれません。