<反実仮想モデルで因果関係を検証する>

    因果と言うと、哲学や仏教を思い浮かべる人もいるかもしれませんが、科学においても重要なテーマです。というか、科学という作業は因果関係を明らかにしていくことに他なりません。例えば、物体は何故落下するのか?何故、液体が蒸発して気体になるのか?特定の薬がある病気に効果があるのは何故か?等々。この様に自然の法則を明らかにするという作業は、因果関係を解き明かしていくという行為であり、科学そのものなのです。さて、科学においては、この因果関係を見つけるのに<仮説と検証>でお話した検証方法を使います。今日はこの因果関係を検証する方法について話してみたいと思います。

    いきなり例から入ります。朝、寝坊して会社に遅刻したとします。この時、会社に遅刻した原因は、普通、寝坊だと考えますよね?それが全てとは言いきれませんが、普通は寝坊したから会社に遅刻した。大抵の場合、寝坊と遅刻の間には、原因と結果の関係が成立します。つまり因果関係があると考えます。また別の例を挙げますと、風邪薬を飲むと症状が改善する。ここにも原因(薬を飲む)と結果(症状が改善する)という因果関係が成立します。では、野球で自分のチームが勝ったのは自分のお陰だ、というのは、自分が居た(原因)からチームが勝った(結果)、または負けた(結果)のでしょうか?客観的に見て明らかに自分の大活躍のお陰でチームが勝ったのならそういう事が言えるのかもしれませんが、微妙な接戦に於いては、そうかもしれないし、そうではないかもしれないのではないでしょうか?そして、よくよく考えて見ると、遅刻の例でも、実はその日は電車が止まっていて、寝坊しなくても遅刻したかもしれませんし、風邪薬だって、もう治りかけの時点で飲んでいたら、薬を飲まなくても症状は改善したのかもしれません。さて、ともかく、人間はこの様に因果関係を、事象の変化を順番に捉え、論理的に類推する訳ですが、その途中途中で、100%そうとも言いきれない論理展開を含む事になります。特に野球の勝ち負けで話した様な事例は、そこら中にあります。風が吹けば桶屋が儲かる型の類推は論理的ではありますが、“限界がある”、つまり真の因果関係かどうか自信を持って言いきれないということです。そこで、科学では因果関係をもっと正確に捉えるということが必要だという事がお判りいただけたでしょうか。

    現在、科学の世界で受け入れられている因果モデルと言うものがあります。これは1970年代にルービンという人によって提唱されたモデルです。このルービンの因果モデルでは、‘寝坊した自分が会社に遅刻した’という事実に対して、‘寝坊しなかった自分’が会社に行ったらどうなるか?を想像します。そして、両方の結果を比較します。もし‘寝坊した自分が会社に遅刻し’て、‘寝坊しなかった自分が会社に定時までに着け’ば、‘寝坊し’たことと会社に‘遅刻し’たことの間には因果関係がある、と言っていいだろう、と決め事をします。決め事と言いましたが、これは我々の考える因果関係の条件を満たしていると思います。例えば、薬を飲んだ場合と飲まなかった場合で、風邪の症状が改善するかどうかを確認すれば、薬と症状の間の因果関係を確認する事ができますし(風邪が治りかけの時点で、薬を飲んだ場合と飲まない場合で比較すると効果は見えずらくなります)、野球のチームに自分が居た場合と居なかった場合で勝敗を確認すれば、自分が居た事とチームの勝利の因果関係を確認する事ができる筈です。この方法だと、理論上はあらゆる因果関係を検証できそうです。また、この形式は先に<仮説と検証>で見た仮説検証の形になっていることも覚えておいてください。つまり、寝坊したから遅刻した、薬を飲んだら症状が改善した、自分が居たからチームは勝つことができた、という仮説を検証している訳です。

    では、どうやって二つの場合を比較するか?という問題になります。先に、『‘寝坊しなかった自分’が会社に行ったらどうなるか?を想像します。』とか『野球のチームに自分が居た場合と居なかった場合で勝敗を確認すれば』としれっと書きましたが、現実に二つの場合を比較するには、ドラえもんが‘もしもボックス’でも出してくれない限り実現しそうにありません。ついでに言うと、先程挙げた例で‘寝坊しなかった自分’や‘自分が居なかったチーム’と言うのは現実には起きえないので、反実仮想と呼ばれ、今説明してきたルービンのモデルは反実仮想モデルと呼ばれることもあります。

    話を元に戻しましょう。理論的に反実仮想モデルを使って因果関係を確認できそうですが、実践できなければ、絵に描いた餅です。何とかして二つの場合を比較しなくては因果関係を確認できません。結論を言ってしまうと、実験室で行なっている実験がまさにその解決法です。理系の人はすぐにイメージできると思いますが、実験を行う際に対照群(control)と言うのを置いたことはありませんでしょうか?例えば、酵素の反応を見る際に、酵素を入れた反応系と、酵素を入れない反応系で反応させ、結果を比較する、またはその変法で酵素の濃度を段階的に変えていき、結果が段階的に変化するかどうかを確認する。マウスを使った実験であれば、何らかの処置をしたマウス群と、処置をしていないマウス群の結果を比較する。この様にして、科学の世界では物事の因果関係を検証しているのであり、その為、科学が明らかにすることには一定の信憑性があるのです。勿論、比較する因子(ここでは、酵素の有無だったり、マウスの処置)以外を揃えなくては、反実仮想モデルに近づかないので、その他の条件、例えばマウスであればその辺にあるのを捕まえてきたのではなく、遺伝的に同じ系統のものを使い、餌や飼育環境を一定にする訳です。

    さて、成る程、実験室では様々な工夫により、反実仮想モデルを利用して物事の因果関係をかなりの精度で検証できそうだ、と言うことに同意いただけると思います。では、実験室の外、現実の世界ではどの様な工夫をすれば、この反実仮想モデルを使って因果関係を検証できるでしょうか。次回は、その話をさせていただきます。