<仮説と検証>

  今回は仮説と検証について説明します。家に帰ると愛猫のミーちゃん(仮名)がゴロニャンと迎えてくれます。『よしよし、私の事を好きで待ち遠しかったんだね』と言って溺愛したりします。そこへ家内『ただ、餌をねだってるだけじゃない?』等と言われたら、ちょっとムカっとしますよね?ここで反論すると言い争いになります。言い争いになれば、声の大きい方が勝ちます。という事は、私には勝ち目がありません。ここで科学者の端くれとしては黙っているしか方法が無いのですが、ここで終えてしまうとブログが続きませんので、敢えて真実を見極めないと命に関わる状況など決着を付けざるを得ない場合、科学者はどう対応するか?という方向で話を進めたいと思います。科学者らしく事実に語らせようという訳です。

 

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    先ずミーちゃんがゴロニャンするのは何故なのか?というのが、この場合のクエスチョンです。科学者はここでリサーチクエスチョンという仮説を立てて検証するという、少しまどろっこしい方法を取ります。私の仮説は『私の事が好きでゴロニャンする』、家内の仮説が『餌をねだっているのでゴロニャンする』です。ここでいきなりどっちが正しいか?なんてミーちゃんに聞くわけにはいきません。仮説を一つずつ検証していきます。私の仮説を検証したい場合は、『私の事が好きでゴロニャンする場合』と『誰でも好き(私でなくてよい)でゴロニャンする場合』を実験的に作ってやり、両方の場合で何回かずつ試行して、その結果、つまりミーちゃんがゴロニャンする回数を比較する事になります。そして、両方に差が無ければ『私でなくてもゴロニャンする』、私の時にゴロニャンする事が多ければ、『私の事が好きでゴロニャンする』という仮説がデータによって支持されたことになり、めでたしめでたしとなる訳です。同様に家内の仮説も検証したい場合は、それ相応の条件を作って同じように比較する事になります。

    この様にして、一歩一歩現実世界で起こる事象に規則を見いだしてきたのが科学です。この作業を検証と言います。正確を期すために付け加えておきますと、結果によっては、私の仮説も家内の仮説も両方とも支持されることもあり、私が好きでゴロニャンし、かつ餌が欲しくてもゴロニャンすることもあるという結果になることもあります。


    さて、ここまでの仮説と検証の話でしたら、他にも誰か書いている人がいると思います。ここでもっと科学の本質的な部分に踏み込んで行きましょう。冒頭に戻ってみましょう。猫のミーちゃん(仮)は、私が家に帰ると、ゴロニャンをしましたよね?これは現実に起こった事実です。そこから私と家内は別々の仮説を思い浮かべました。ここで<はじめに言葉ありき>で説明したことを思い出してください。ここでも、“仮説を思いついた私”というフィルターが、“現実”と“抽象化された世界”の間に“在る”のが分かって頂けたでしょうか。現実に起こった事実はひとつですが、そこから思い付く仮説はその人の立場や経験に寄って異なります。そして、それが正しいかどうかは検証されるまでは分からないということです。ですから、科学者であろうとすると、自分の仮説を主張もできず、かと言って相手の仮説が正しいとも言えず、反論せずに黙っているしかできなかったのです。科学者にできるのは、と言うか興味のあるのは、どの仮説が正しいのかを検証する事です。

『しかし、かれは知らないくせに何か知っていると思っているのに対して、私のほうは、実際、知らないとおりそのままに、知っていると思ってもいないからです』(『ソクラテスの弁明』三嶋輝夫、田中亨英、講談社学術文庫

『本当に理性的な人間は絶対に自分が正しいなどとはめったに思うことはない。理性的な人間になろうと思ったら自分の思想に対しても常に疑いを持っていなくてはならない。』(バートランドラッセル)
『私は自分が間抜けだと思うくらいに賢い』(リチャード・P・ファインマン

『無知を恐れてはいけない。偽りの知識を恐れよ。』(ブレーズ・パスカル